マークニズム宣言

偉くてすごくてたのしい

青森−東京間シクロトリップ2012

暗闇の中に縁石が見えた。
人間の反応速度の限界は0.125秒だという。僕はその10倍もの時間、迫りくるその障害物をただ見つめていた。
クラッシュ。
人は生命の危機を感じると、それまでの人生をフラッシュバックで思い出すという。僕に言わせればあんなの嘘っぱちだ。縁石に突っ込んで宙を舞う間、僕は死を確信すると同時に前輪の修理費用について頭を悩ませていたんだから。

チャックパラニューク風に書くつもりでしたが諦めました。


2011年8月9日23:30に函館を出港、翌6:30に青森港からスタート。行き先はTOKIO

自転車はスペシャライズドのアレー2006年モデル。
仕送りも学費も貰っておらず貧しかったため、キャリアはケチって最大積載量たった8kgのクソを買ってしまいました。
もちろんパニアも無いのでキャリアには寝袋をゴム紐で固定し、残りは全てバックパックで背負いました。
このためにお尻と会陰を駄目にしてしまったんですが、それはまた別のお話

開始2時間弱でこの旅に出たことを後悔しはじめました。
何でこんなことやってんのか分らなくなるんですね。今でも不明です

午前10時の時点で気温は32℃。昼過ぎには34℃に
スポーツドリンクは7リットルも飲みました。

1泊目は岩手県二戸市にある母親の実家。

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こちらは盛岡城跡公園天守閣から伸びる通称“死の坂”
このラグナセカコークスクリューばりの急傾斜に加えて道の真中から松の木が斜めに生えている超難関シケイン
中学生の僕は2度も大怪我をしています。
ノーブレーキで坂を下りドリフトを決めようとして吹っ飛び頭から大出血したのが1度目。
リベンジに臨むも怖くなってブレーキをかけたら前輪が滑って肘と膝を巻き込み肘から脂肪がプリッと飛び出たのが2度目。

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このTシャツお気に入りだったのにゴールデンボンバーのせいで着られなくなりました。最悪です。

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珍満

盛岡で休みすぎたので一関に着いたのは23時過ぎでした。ネカフェで一泊。

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足は28cm。カエルは臭い
なみたまいそ
日に焼けて最終的にこうなりました

3泊目は仙台の友人宅。

追い越しの車に軽くクラクションを鳴らされるたびに思い切り怒鳴って中指を突き立てていたんですが、4日目でようやくそれが「がんばれよ」という意味だと気付きました。

一度河原にサングラスを置き忘れて20キロほど引き返しました。最悪です。
4泊目は二本松市の先輩宅。
翌日は朝の6時には出発するつもりでしたが、前日お父さんにウイスキーを飲まされまくったので二日酔いで16時までくたばってました。
そのため出発するなり日が落ちて、しかも雷雨に見舞われてしまいました。
安物のライトは嵐の夜道ではあまりにも頼りなく、二日酔いの余韻もあったので、集中力を欠いて縁石に突っ込んでしまいました。
思いきりふっ飛んだので絶対死んだと思いましたが、腕、脚、脇腹の擦り傷程度で済みました。
85Lのバックパックが役だった唯一の事案。前輪も奇跡的に無事だったので御の字です

5泊目は白河市の橋の下。寝袋が濡れていたのでほとんど眠れませんでした。
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コントラストをいじってみたらインスタグラムみたいになっちゃった

6泊目は古河市(しょぼい町)
温泉で時間を潰してファミレスでステーキを注文して寝ました。起きてから冷めたそれを食して出発。

荷物のほとんどを背負っていたため最終日にはお尻に限界が訪れていました。
東京まで○○kmの表示を信用しきっていたんですが、目的地の八王子市は県境からプラス2時間ほどの場所にあったんですね。最悪です。
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やっとのことで父親の家がある八王子!苦行もおしまい。ヤッタア(´-`)
もう二度とやらないぞ(翌年も似たようなことやりました)